【メイド喫茶論考】 名前が命を宿す

By 管理魔術師, 2010年4月14日

文/清水銀嶺
画/犬山しんのすけ

 『言霊(ことだま)』という言葉をご存知だろうか。
 『言魂』とも書き、日本では声に出した言葉に霊や魂が宿り、現実の事象に影響を与えるという考え方が古来からあり、神道における祝詞では、誤読を厳に戒められているという。
 また、万葉集には柿本人麻呂が詠んだとされる、「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」という歌があり、日本の国は言霊によって幸せがもたらされると歌われている。
 同じように欧米のキリスト教圏では、新約聖書の『ヨハネによる福音書』の第一章に、「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。」とある。
 それらの思想を背景にして、名前もまた単なる識別のための記号ではなく、なんらかの力を持つという考え方があり、子供に不吉な名前を付けることで悪運や悪霊を遠ざけるという風習や、本当の名前は親などの限られた親族のみが呼んで、日常的には別な名前を用いるといったことが、日本だけではなく世界中に散見することができる。
 ここで、そんなオカルト的な話をするつもりは毛頭無いが、流行といったものには、この『名前』というものが重要な役割を果たすことがある。
 メイド喫茶を始めとした、オタク文化は時に、「アキバ系」とか「アキバ的」というように、秋葉原という地名が冠されることがある。その昔は、石原慎太郎の短編小説『太陽の季節』に影響を受けて無秩序な行動をとる若者を示す「太陽族」などのように、バイクや自動車で暴走行為をする「暴走族」、原宿の歩行者天国でダンスを踊る「竹の子族」という流れで考えられたのか、「アキバ族」という呼び方もあった。
 いずれにせよ、「アキバ」と頭に冠せられているが、実際にはオタク文化の中心地は別に秋葉原ではない。都内であれば、新宿もオタク的な店舗は充実しているし、女性のオタクが集まる池袋は「乙女ロード」と称されている。それこそ、メイド喫茶の伝播の途中には秋葉原は重要な場所ではあったが、原形としての発祥はイベントでの企画であり、秋葉原という訳ではないし、メイド喫茶の分布も決して秋葉原に偏ってはいない。
 しかし、人々にイメージを想起させることには成功している。それは、人から人への伝聞、すなわち流行を起こすのに重要な要素となっている。
「日本各地に点在している」とか「各地で自然発生的に現れた」と、あやふやに説明されるよりも特定の地名が中心地、あるいは発祥地として云われる方が、記憶に残りやすく人に語りやすい訳だ。
 オタクという言葉も同様だ。
 オタクの語源や広まった過程はすでに述べているが、現在の捉えられ方は、アニメや漫画、あるいは特定のジャンルを愛好し、精通すると共に世間からは隔絶した感覚を持っている、当たり障りの無い言い方では趣味人、有る言い方では変人といったところであろう。
 これを文章や会話の中で、いちいち述べるのは大変である。人に伝えにくい話は、よほどの労力をかけなければ伝わらない。それが、オタクという単語で済んでしまう。
 説明という意味においては不完全であっても、「全て」を内包しているという点で最適な言葉となることで、オタク的なるモノはブームを起こす力を得た。
 今ひとつ、メイド喫茶に付随して語られる用語『萌え』も同様である。
 この用語も、その語源については諸説あり、「燃える想い」といった熱く強烈な感情ではなく、草木が萌えいづるように心に芽吹く感じという「好きだ」という気持ちを表す内面的な感情の連想から発生したとも、単に「燃える」とパソコンのキーボードで入力するさいに漢字変換を間違えたという偶発的な理由を起源とする説、あるいは「燃える」という表現を特定の仲間やコミュニティ内で用いた隠語という説など、断定的に語ることは難しい。
 しかし、それらの複数の起源を正確に説明するのが困難であるように、もっと困難な説明を可能にしたのは、この「萌え」という言葉なのだ。
 その、もっと「説明が困難なもの」とは、人による「感覚のズレ」である。
 女性を対象として例を挙げるが、女性を褒めたり、好きになった理由を語るとき、最大公約数となる言葉は、外見であれば「美人」とか「可愛い」、内面であれば「優しい」とか「知的」といった言葉だろう。
 しかし、より特定の個人を対象にし、具体的な要素を挙げれば人それぞれのはずである。それは目元などの身体の細かい部分かもしれないし、メガネや服装といった身に付ける物かもしれない。あるいは、歩き方や飲み物を飲む仕草、笑い方や怒るときの態度といったように細分化されていく。
 それらを突き詰めていくと、ある時点で他人にそのことを理解させるのは困難になるはずである。いくら目元の魅力を語っても、同じように目元に注目していない他人、口元が素晴らしいと思っている人に語っても通じないだろう。メガネがどんなに似合っているか語ってみても、素顔の方が良いと思っている人とは、想いは共有できない。さらに、「怒り顔が魅力的」といった類の場合は、自分が心に想うのは勝手だが、言われる相手は喜ばないだろうし、褒め言葉としても成立しにくい。
 しかし、「萌え」という言葉は、それらの個々人の持つ「好き」という感情を全て内包してしまうのである。
 「萌え」の要素となる例を挙げると、外見的な萌えでは「メガネ」や「猫耳」といった物がある。前者が現実寄りなのに対して、後者はファンタジー寄りという違いはあるが、いずれにせよ、その姿に萌える場合、本来はその姿で設定されていない漫画のキャラクターに同様の姿を被せて萌える人もいれば、初めからその姿だと設定されているというだけで萌える人もいる。メイド喫茶のメイド服が、萌え要素として機能するのは、この系統である。
 行為的な萌えとしては、「ドジッ子」が一番分かりやすいだろう。挨拶しようと頭を下げてテーブルに頭をぶつけるとか、失敗したことを謝って次の行動に移ろうとした瞬間、今度は転んでしまうといったパターンを持つ。単純に可愛いと思えなくも無いものの、自分がその失敗の被害者となることを考えると、必ずしも魅力にはなり得ないが、そこに萌えるという人はいるのである。メイド喫茶の場合、運ばれてきた飲み物がこぼされるというハプニングがあれば、それはトラブルではなく幸運だったと、「萌える」人からは羨ましがられることであろう。
 さらに、内面的な萌えには、「クール」や「ツンデレ」などがある。クールというのは、無表情で冷たい雰囲気、あるいは口数が少なく、ほとんど返事を返さないタイプを指す。そして、ツンデレは今やバリエーションが増えてきたが、最初はツンツンとトゲのある態度を取りながら、新密度が増したり、二人きりになったときにはデレデレと甘えるようなタイプを云う。これらの性格も、とても万人受けする魅力とは言い難い。
 このように、他人にこと細かに自分の感じたモノを説明する必要は無いかもしれないが、自分の気持ちを伝えたいという時はあるだろうし、同意や理解を完全には得られなくとも、片鱗だけでも分かってもらいたいという時に、「萌え」という言葉はその機能を果たすのだ。
 極めて特化された、「好き」という意味を拡大的に内包している便利な言葉だからこそ、広く伝播して使われるようになった「萌え」という言葉。この言葉は、歴史的には「芽が出る」という意味を持ち、新しい造語ではなかったという点に注目するべきであろう。
 それは「メイド喫茶」においても同様で、その発祥からすれば「コスプレ喫茶」で定着してもおかしくなかった。
 しかし、オタクという単語が従来から「お宅」という用語で存在し、アキバという地名が電気街や問屋街だった頃から「秋葉原」を指す別名として知られていたように、造語であるため単語としての説明が必要な「コスプレ」よりも、普通名詞として存命していた「メイド」の方が、そのブームを牽引することになったのは疑いようも無い。
 子供とペットを同列に扱うと批判的に見る向きもあるかもしもれないが、父親などは子供の名前が決まってから愛しく感じるという話もあり、ペットもまた名前を呼びかけているうちに、経過する時間のせいのみならず、その行為によって愛着を深めるそうだ。
 もとより名前は識別するためのものであるが、固有の事物以外の、あやふやな事象などを認識するのにも有用な役割を果たしているのである。
 造語が廃れた例も挙げておこう。『ジャパニメーション』という言葉である。
 マスコミでは、日本の優れたアニメが海外でも評価され、「ジャパニメーションと呼ばれている」と報道された時期があり、現在でもたまに目にすることがある。
 元々は一九七○年代に北米で用いられた表現だとされているが、それが輸出した側の日本企業によるのものなのか、輸入した側の現地の企業によるものなのかは定かではない。
 ただ、綴りが「Japanimaion」となると、日本人を侮蔑するときの「ジャップ」という綴りに「アニメーション」と付く形になるため、人種差別に敏感なアメリカ人の側から不適切な表現と指摘されている。
 また、「漫画映画」を意味する「アニメーション」の綴りは「animation」であるから、日本語で「アニメ」と呼ぶように短縮することはできず、海外では「anime」という綴りで「日本の作品」と認識されているそうだ。
 海外で差別用語の疑いがあると指摘されているのを、わざわざ使う必要は無いのにマスコミが用いているのは、その言葉が「一言」で「日本発の海外で評価されているアニメ」という説明を可能にしている便利な言葉と認識されているからだろう。
 しかし、造語はどうしても、象徴する言葉にはなりえても、最小限ながら説明が必要になるし、なによりも違和感がぬぐえないことがままある。そのためか、ジャパニメーションという言葉は、制作者側にもファンの側にも定着しなかった。

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