人生の半生を経て、自分はどれだけ環境に適応してきたのか?

By 湖守龍花, 2013年1月22日

私にどれだけ、共感してくれるかわからないけど今思うことをとりあえず、ここに書いてみた。
人生の半生を経て自分はどれだけ環境に適応してきたのだろうか?
特に、いろんな面で優秀とはいいきれない環境の中で育まれてきた自分。
自分を守れるのは自分だけ、といつも思っていた。
誰も助けてはくれないし…。
世代的には団塊ジュニアなので、競争率は激しかったと言われる世代。
けれど、バブルのせいで逆に大変だった…その割には、あまり恩恵は受けていない。
確かに高卒組で、当時は景気がよかったことは確かだった。
しかし、他に比べてボーナスは少ないし。
結局そこでも万年人手不足。
私は事務系で入職したのに、人がいないからと言われ現場にいつも借り出されてた。
で、現場に出ると結局その日の自分の事務仕事は後まで残る。
仕入れの倉庫担当と仕分け。
寒い中、食品関係だったので大きな冷蔵庫や冷凍庫にときには入らなければならなかった。
なのに、残業はしてはいけないといつも上から言われ、半現場の半事務担当。
食堂の皿洗いなんかも行かされた日々…。
東京では、自分が希望した部所とは全く別な所に行かされて…慣れない土地で、田舎もの扱いされ地図だけ持たされ部品を届けに社用車にて、行かなければならなかった。
それも、形状がマニュアル車と少し違ってなんというか変なところにギアチェンがある。
車体はとにかく縦長で、でかくて変わった車なので確かに目立つ。
そのせいか甲州街道ウロウロしてたら、信号の左折時に何故か信号無視だと誤解され警察に捕まり事情徴収をされた。
(誤解は自力でなんとしても解くしかなかった)
ある時には、夏の暑い日に熱中症になりながらも羽田空港まで多摩地区より電車を使用。
航空便に間に合わせるのに必死な私がいた。
重い…電源関係のパーツを運んだ。
これも、何とかクリア。
しかしながらどうして、こうも重労働に縁がある。
当時は、アッシー君も貢ぐ君も私には無縁の存在。
もう、全部自力で生活をしてきたくちだ。
一人暮らしだったので、病気をしたらアウト…だからこそ常に自己管理はかかせなかった。
とにかく、部屋を片した後日曜日には新宿へレッスン。
休みなどは皆無。
これで、よく身体壊さなかったと思う。
今、思えばそのレッスン代の2万円貯金に回せばよかったと少し後悔。
家賃や食費に通信費払ったら、ろくに残らない生活だった。
でも、よくやりくりしてたわ…借金もせずに。
もう強い意志一つだけ。
だからなのか…つまり、貧乏しか知らないのよ。
実家では妹が21歳で婿を取ってしまい、居場所などなく…。
その年、条件反射のように東京へ。
それから約4年半程生活してたかな東京で。
その後、限定的に実家にいさせてもらってから埼玉へとまた引っ越した。
地元にはあまり縁もなく、仮住まい。
それから、埼玉長いな~。
もう、10年以上経過している。
埼玉来てからも、やはり重労働系の介護職になってしまった。
低賃金でも、よく頑張っている自分。
でも、どれもこれも今では介護の為の身体作りだったんだと即、納得。
おかげさまで、腰痛にも悩まされたこともなく…。
食品会社の醤油の一斗缶運んだり、印刷機メーカの電源ケーブル運んだまま階段の上り降り、何百枚もある皿洗いに徹したことが良かったのかも。
ちなみに、運動神経も案外良くて体力があったことも幸いしたようだ。
という訳で、なにごとも良い方向に解釈しなければやってこれなかったのも事実。
これからも、そういうふうに生きなければならない宿命を背負っているようだ。
なんか長文になってしまった。

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