ヴァ―レ・リーベ 第3話「秘密」

 他よりも大きな白い家の黒い表札には小黒と書かれており、その家の中のリビングではカチャカチャとフォークと食器が軽い音が、踊るように両サイドからなっていた。

 リビングはラボの隣にある、比較的片付いていて、尚且つずっと小さい部屋で、テーブルにパスタやスープが彩られて置かれた食器が並び、近くの椅子には友里と奏汰が向かい合って座っている。今夜の夕飯は家に家族がいなく、また家事が不得意な友里のために、奏汰が用意しれくれたものだ。イカやハーブを用いたパスタは薫りがよく、無駄なものは足されていてないシンプルなものだったが、2人にとってはこれで十分な味付けだった。汁物はトマトスープであり、よく煮込まれたトマトの自然な甘さは、他の料理の味を邪魔せず、むしろ食欲を掻き立ててくれるものだった。

 温かい食事、誰かと食べる食事、この時間は2人にとってもっとも好きな時間の一つだった。

「パスタもスープも美味しいよ」

 左手にフォークを持ってパスタを、右手にスプーンを持ってスープを、器用にも交互に口に入れている。

「だから行儀が悪いって。もっと落ち着いて食べてよ」

「落ち着いて食べたら冷めちゃうよ。せっかく美味しいんだから温かいうちに食べなきゃ。あ、でも奏汰の料理は冷めても美味しいもんね」

 このやり取りも、過去何度か行われているもので、友里に料理が美味しいと褒められるたびに奏汰はまんざらでもなさそうにする。そして悪戯っぽい笑顔を浮かべてこう言うのだった。

「もっと味わって食べてよせっかく作ったんだから」

 こう言われると、友里は素直により味わうために食事の速度を落とすのだった。

「それで、今日、朝のホームルームで何を実験しようとしてたんだ?」

「あれは本当に大したものじゃないよ。ちょっと、暇つぶしに薬品を混ぜようとしただけで…………」

「危ないでしょうが教室でやったら」

 すかさずに奏汰はツッコミを入れた。 

 彼らのやり取りは、たまに、漫才のコンビのように周りに映ることもある。

「………ねぇ、奏汰」

 トマトスープをスプーンですくい、唇に当て、音を立てないように口に流し込んで、温かくトマトの良い香りと味が口いっぱいに広がるのを感じながら、改めて友里が話を切り出した。

「奏汰は、秘密とかってある?」

「秘密?」

「そう。誰にも言えないような、自分だけの秘密。決してこれだけは知られてはいけないていう秘密、みたいなさ」

「いきなりどうしたんだ?」

 うーんと軽く考え天井をなんとなく眺めて、そして友里の顔をじっと見て、奏汰を見つめ返しながら首を傾げる彼女に心臓が一瞬、ドクンッと大きく跳ねた。

 それに呼応するように顔がほんの少し熱を帯びていくのを感じた。

「ひ、秘密くらい俺だってあるさ!」

「え~?どんなのどんなの」

 さっきの仕返しと言わんばかりに、今度は友里の方が悪戯っぽくなった。

「言えるか!人に言えない秘密って、さっき自分でいったじゃんか!」

「ふふふ、ごめん」

 あたふたする奏汰の姿に、思わず友里は笑ってしまった。

 彼女にとって、研究や実験以外に楽しめることは、奏汰とこうして話すことなのだ。

「そういうお前だって、何か秘密があるのかよ?」

「私?私もあるよ。秘密」

 声のトーンは先ほどと変わらないが、雰囲気ががらりと変わったように、奏汰は感じた。

「その秘密って?いや、教えたくないんならいいけどさ。俺も言わないし」

「………いいよ」

「え?」

「私の誰にも言えない秘密、教えてあげるよ。でも、それは今じゃない。いつか時間が来たらね」

「お?なんだ?中二病か?」

「やめてね。なんだか恥ずかしくなっちゃうから」

「冗談だよ。その時は、俺も秘密を打ち明けるよ。誰にも言ったことの無い秘密をな」

「へ~楽しみ!」

 ニコッと笑うと、友里は最後の一口を食べ終えた。

「ごちそうさまでした」

 奏汰はまだ食べてる途中で、友里がお皿を持ってシンクに持って行こうとすると「いいよ。俺が洗うよ」と言った。

「これくらい、私でも出来るよ。任せて!いつも作ってもらって悪いし。奏汰はゆっくち食べてて」

 ちょっと心配だな。と奏汰は思った。ジャーッと蛇口から流れる水に食器を当て、スポンジで丁寧に洗いものをしている彼女を横目で見ながら、奏汰も最後のパスタを口にいれ、飲み込んだ。

「ごちそうさま!俺も手伝う!」

 さっと立ち上がり、自分の食器をシンクへと運んだ。

「それも私が洗っちゃうね、貸して」

「おう、じゃあ、俺はタオルで拭くよ」

 そう言って、近くにかけてあったタオルに手をかけた。

「あ、それ1週間洗ってない!」 

「ちゃんと洗えって…………」

 仕方がないな、とため息をつきながら、食器棚の下の方にいれてある真新しい布巾を取り出した。

 それからは友里が食器を丁寧にスポンジで擦り、汚れを吸着した食器用洗剤の泡が残らないように、水で流して奏汰に手渡す。

 奏汰もまた、受け取った食器を丁寧にふき取り、一滴の水滴も、少しの水分も残らないように努めた。

 こうしているとなんだか夫婦みたいだ、と奏汰はそう感じていた。

 いつも同じようなことをしているというのに、今日だけは特に強くそう思ったのだ。

 それはきっと、彼女が秘密について尋ねてきたことがきっかけだろう。

 奏汰の持っている秘密、それは小黒友里のことが幼い頃から好きで、そしてそれを伝えてしまうとこの関係が壊れてしまうような気がして、心の底から怖いと感じていることに他ならなかった。

 しかし、こう考えることもある。友里は誰かを好きになるのではないか。

 もし、その時が来たらどの道、この関係は終わってしまうのではないか。

 やばい、どうしよう、めっちゃ気になる。顔では澄まして見せる奏汰だったが、心のなかではそのことで一杯だった。

 彼女の秘密というのが、もっとも気になるものなのだ。

 なんだなんだろう。友里の秘密って……………。科学者で凄い発明しているってことはもう知ってるし……………。

 もしかして、本当に好きな男子が出来たとか……。いや、友里に限ってそんなことはないはず……。いやでも、クラスにカッコいいやつはいるし………。

 余計な妄想がどんどん膨らみ、それを振り払うように奏汰は首を振る。

「ねぇ、奏汰ってば」

 気が付くと、友里が奏汰に呼びかけていた。

「え?あ、ああ。何?」

「何って………。お皿、受け取って欲しいのにずっとボーっとしてるし、急に首ふるから、どうしたのかなって」

 妄想に耽るあいだに手が止まっていたようで、友里の手が押し付けるように皿を奏汰の方に向けていた。

「あぁ、ごめん。やるよ」

 若干の動揺をしながらも、お皿を受け取り、繰り返し拭き始める。

「奏汰、さっき何考えてたの」

 友里からの突然の質問は、彼にとってまさに追撃の一撃だった。

 素直に「俺は友里が好きで、友里が他に好きな人がいないか気になってた」など言うことは出来ない。

 思考を巡らし、何かうまい回答はないかと考える。

「あー、えっと。やっぱ、秘密って大事だよなって」

 やっとの思いで絞り出した言い訳がこれである。

「ふふ、何それ」

 特に深く気に留める様子もなく、残りの1枚のお皿を洗いながら笑って応えた。

「なんていうかさ、秘密があるからこそ、上手く人と人が付き合っていけるのかなーって」

「そうだね、確かに」

「なんで、今日その話をしたんだ?」

「この秘密は、いつか打ち明けなくちゃいけないって思ったからなの。でも、まだダメ。そんな時じゃない。いつか話すよ」

「その時じゃないって……。気になるな」

「知ってる?」

 洗い終わったお皿を奏汰に手渡しながら、彼の目を見るめて優しい笑顔で言った。

「人は秘密を持ってた方が、神秘的に見えるんだよ?」

「………なんだそれ」

 お皿を受け取り、奏汰はゆっくりと水分を拭きとった。

「おやすみ。今日はもうお風呂入って寝ちゃうから。」

 気が付けば、壁にかかった時計の針は8時半を指していた。

「お、珍しく早寝か」

「そろそとエナドレのカフェインが効かなくなってきたからね。睡眠不足もあるし」

「いや普段から早く寝ろよ。また夜にエナドレ飲んでたんか」

 母親のお小言のように、奏汰は友里の身体を気遣う言葉を並べた。

 友里は軽く聞き流し「分かったから、もうお風呂入っちゃうから今日はもう帰って。それとも、一緒に入る?小学生の時みたいに?」と先ほどより悪戯の笑みを浮かべて奏汰をからかうのだった。

 当然奏汰の方は顔を真っ赤にして「俺はもう帰る!風呂は1人で入って!」と言って、漆器を全て手に持って、玄関を出て行ってしまった。

 今夜は三日月が黄色く光っており、暗い星空を太陽の代わりに照らそうと頑張っている。

 しかし、自分で光ることが出来ない月は悲しくも涙をながしながら、雲の影に隠れてしまった。

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