【メイド喫茶論考】 オタク文化の発展と共に

By 清水銀嶺, 2011年10月22日

 日本における喫茶の歴史で触れたように、メイド喫茶が誕生する素地は、かなり以前からあった。
 特定の職業の制服に対して、自分が着る物として憧れたり、鑑賞する側として愉しむという文化も連綿と続いてきた。
 それが何故、現代において爆発的とも呼べるブームとして現れたのか、すでに幾つか例示しているが、「道具が揃った」という点も見逃せない。それはオタク文化の発展ともリンクしている。
 漫画の神様と云われた手塚治虫は、子供の頃に当時では珍しい映写機が家庭にあり、父親がカメラで撮影した映像を楽しんでいたそうだ。そのように裕福な環境にあった手塚は、同時に拘りの強い性格で、絵が得意であったことから、好きだった虫を採集しては写真と見まがうほどのスケッチを残している。
 やがて、手塚を師と仰ぎ上京して『忍者ハットリくん』などのヒット作を生み出した藤子不二雄Aは、『ドラえもん』を生んだ藤子・F・不二雄が中学生の頃に手製で、イラストを壁に映写する幻灯機を作ったことを『まんが道』などの作品の中で述懐している。
 当時はもちろんまだ「オタク」などという言葉は無かったが、ある程度恵まれた環境で持ちえた物や、好きという気持ちが昂じて創作する行為が合致したことは、現在のオタク的な事象に通じるだろう。
 何かを創造するには想像力だけでは足りず、実現する行動力と、そのための道具が必要なのだ。
 行動力は個々人に帰結しそうにも思えるが、戦後の漫画やアニメ、特撮作品に影響を受けた子供たちが日本の社会の中核に配されるようになった現代。そしてデジタルによる制作環境は、個人でも相当の作品が創作できるようになり、通信環境の充実は作り手を集めたり、発表も昔より容易になるといった事が重なったからこそ、今日の日本におけるオタク文化の発展があったのだ。
 その意味において、日本にはメイド喫茶が誕生する下地があったとしても、今世紀になって隆盛をみたのは至極当然と云えるだろう。

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