【メイド喫茶論考】 喫茶店にスタンダードは無い

By 管理魔術師, 2011年6月8日

文/清水銀嶺
画/犬山しんのすけ

 多少混乱した日本における喫茶店の歴史であるが、人が集まる場というのは、「社交場」という言葉があるように、存在それ自体が役割を担う。
 もとより、カフェの発祥の地であるフランスでは株取引をする人たちが集まることで発展し、イギリスではコーヒー・ハウスに集まっていた保険業者たちが「保険事業のために」人を雇ってコーヒー・ハウスを開店して、世界最大の保険組合ロイズが誕生した。
 つまり、他の「何か」を組み込むのが喫茶店の特徴なのだ。
 そして日本では戦後、風俗産業に組み込まれる特殊喫茶と区別するように、酒を供したりしない喫茶店は純喫茶を名乗るようになった。それはつまり、喫茶店が多様化していき、飲食店としての機能だけではなく、「時間を買う」とも表現されるように、別なモノを求める人たちが訪れる場所となることだった。
 昔は特に名称は無かったようだが、古本屋や貸本屋を兼ねた喫茶店や、まだ高価だったレコードを聴かせる名曲喫茶、生演奏を聴かせるジャズ喫茶にロック喫茶など、挙げればキリが無い。これらの、別な用途を持った喫茶店の中には、私語禁止とか、物書き禁止などという店もあったという。また、リーダーとなる客が先導して、店内の客たちが一緒に歌う歌声喫茶というものもあった。
 いや、これらは過去形ではなく、数は少なくなったものの現存する。少なくなった理由は幾つかあるが、経済発展により本やレコードなどは個人での入手が可能になったからだろう。外食産業や、その一翼となるファーストフードの台頭も影響したものと考えられる。わけても外食産業のチェーン店やフランチャイズ店では当初、「同じ系列なら同じサービス同じメニュー」が売りでもあった。ファーストフードはそのうえ、店員との接触は基本的に購入時のみであり、給仕などのサービスは望むべくもなかった。そんな時代の流れの中で、喫茶店は均一化に向かい個性を失っていった。正確には個性的な店は少なくなかったものの、それを求めるのは一部の愛好家の間でだけにとどまり、「時間を買う」という人よりも、「時間を潰す」というのが飲食以外に飲食店に求められる期間が続いた。
しかし、現代においては原点回帰のような現象が起きている。価値観の多様化と情報社会の醸成によって、娯楽産業が細分化していったことが影響したのだろう。
 昔の貸本屋のようにレンタルビデオ店が現れ、歌声喫茶はカラオケ店へと受け継がれ、それこそ漫画喫茶は日本における喫茶店の発祥からして、古い遺伝子が呼び覚まされたかのようだ。
 つまりメイド喫茶もまた突然変異ではなく、遺伝子を受け継ぐようにして育ってきた、日本の喫茶文化の一つなのだ。


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