円谷英二(つぶらや えいじ)

By 清水銀嶺, 2011年5月12日

 本名は、円谷 英一(つむらや えいいち)。兄のように尊敬している5歳年上の叔父の名前が「一郎」だったため、遠慮して「英二」を名乗るようにした。
「特撮」という言葉を作り、「特技監督」という役職の第一号となった。尊敬を込めて「特撮の神様」と呼ばれる。
 68歳で亡くなった彼の功績として語られる『ゴジラ』を制作したのは53歳のとき、『ウルトラマン』は65歳のときで、遅咲きの人という印象を受けるが、20代の頃には独自の撮影手法のためにする工夫が当時の他のスタッフには怠けて遊んでいるようにしか見えず「ズボラヤ」と揶揄されたり、40代の頃に手がけた撮影の技術が高く評価されたことが逆に戦時協力したとして連合国軍最高司令官総司令部により公職追放されるなど、その才能ゆえに不遇であった面がある。
 工夫をするのがとにかく好きで、いくつかの特許を取得し、多額の特許料を得ていた。自動証明写真撮影機も彼の発明で、その特許料で当時としては高額な撮影機器を海外から取り寄せて使用していた。
 また、模型も好きで、撮影においてスタッフから「実物を使いましょう」と提案されても、「ミニチュアを使ったほうが画として面白いんだよ」と拘りをみせていたという。孫である円谷一夫は、、零戦の模型の組み立てを途中で放り出したところ、大声で怒られたと述懐している。なにしろ本人は、11歳のときに精巧な模型飛行機を自作し、地元新聞社の取材を受けているくらい。
 専門がカメラマンであることから、様々な撮影手法を考案し、「特撮の神様」として語られることが多いが、同時に優れた編集者でもあった。
 多額の予算を必要としながら、ほぼ一発勝負となる特撮の現場では、しばしば大失敗という事態が起きる。しかし彼が怒ったり慌てたりすることは滅多に無く、他のカットと繋いだり、現像したフィルムの裏表を逆にしたりと巧みに編集し、「特撮にはNGは無い」と語っていたそうである。

LINEで送る
Post to Google Buzz
Pocket

 
No tags for this post.

What do you think?

コメントを残す

ツールバーへスキップ