列車にしてはお洒落で、落ち着く雰囲気のラウンジカーに、僕はイオと2人っきりだった。テーブルの上には朝食に用意されたサンドイッチと紅茶。イオの怪我が治ってから、まだ数時間ほどしか経っていない。
窓の外には、岩の壁。コスモスは未だ、渓谷の底で停車している。
コスモスの自己修復自体はとっくに終わっていて、いつでも発車できる状態だった。ただ、敵がどこに潜んでいるか分からない以上、無闇に発車できなくなったのだ。
ん。サンドイッチの中のレタスがシャキシャキしてて美味しい。ハムの味が口に広がっていく。
「今のところ、反応はないんだよね?」
僕は紅茶を啜りながら、天井に向けて声をかけた。
「はい。半径5000km以内に敵時空列車と思われる反応はありません。でも……」
「姿を隠して潜伏しているかもしれないんだよね」
「そうです」
「やっぱり、前に襲ってきたステルス艦と、今回の敵は同じ?」
「可能性は高いです。もしそうなら、私のレーダーではどこに潜伏しているか分かりません」
「このまま発車して最大戦速で逃げるっていう手もあるけど……………」
「そこなんですよね。どうしても敵の詳細な性能が分からないので、振り切れるかどうか…………」
「そうだよねぇ」
困ったな。前は何とか一杯にして振り切れたけど、今回も同じように行くかは分からない。僕もコスモスも、そのことを懸念している。そもそも本当に振り切れていたのかな?
何故か分からないけど、敵には僕らがこの世界に来た事までバレて、追いつかれてしまっている。ってことは、もしかしたら相手はこのコスモスと同等の速度ということになる。
「もし、前に襲って来たのと今回の敵が同じで、しかも時空列車だったとして、コスモスにそのデータはないの?」
「すいません。私には他の車輛のデータはインプットされていません。あるのは、一部の異世界のデータだけです」
「そっか。じゃあ、コスモスと同じ速度で走れるのかもしれないんだね」
「若しくは、私の造ったレールの跡を追跡されたのかもしれません」
「そんなこと出来るの?」
「出来ます。ただそれには相当の解析装置が必要です。それを敵のステルス列車が持っているかは判りません」
それってつまり、敵は複数いるってことになるんじゃ……?ステルス性能で相手の姿が見えないから、勝手に敵は一編成の時空列車だと思ってたけど、本当は何編成もいたって不思議じゃない。
あり得ない話じゃない。もし、仮に、列車が複数いるすると、ますます迂闊に発車できない。
例えば、待ち伏せされてたり、それこそ大量にミサイルを撃ち込まれるかもしれない。「バリアー全開で突破すれば、ミサイルの雨を撃ち込まれても大丈夫なんじゃ?」
「シミュレーションしてみました。計算上は上手くいきます。でも、それはあくまで計算上の話です。実際にどうなるか、私にもなりません」
「あの……」と横からイオが手を挙げた。
「どうしたの?」
「私が外に出て調査するのはどうですか?命令してくだされば、ちょっとそこまで走ってまわってきます」
「それはダメ。イオは病み上がりなんだし、相手が強かったでしょ。今度また襲われたら、どうなるか…………」
「あ……」と小さな声。「ごめんなさい…………」
イオは表情を曇らせ、俯いてしまった。
「ううん。こっちこそごめんね。イオが弱いって意味じゃないんだ。今回は、その、相手が悪かったというか、僕は、イオに怪我をして欲しくなくて、その………」
どうにかしてフォローを入れようとしたけれど、僕の思いとは裏腹に、言葉が詰まってしまい、自分の声が小さくなっていくのを感じる。相手が傷つかないよう、言葉を慎重に選ぶことが、こんなにも難しいだなんて、知らなかった。
あぁ、僕は何やってるんだ。1人の女の子を慰めることも出来ないなんて……。いや、そもそも、僕は彼女に守ってもらってばかりだ……。
申し訳ないという気持ちで、僕もすっかり黙りこくってしまった。イオも、言葉を発しない。明確に気まずい雰囲気が、車内にじんわりと広がる。
こんな時、里久が居てくれたらなぁ。あいつなら、どんな言葉をかけるんだろう。
今はもう居ない友達を思い出し、悲しさは増々、僕の心をどん底へと沈みこませた。
「今回の敵は、手練れです。イオのせいじゃないですし、マスターが気にやむことでもありません」
落ち着いたコスモスの声が、沈黙を振り払った。
「……うん。ありがとう」
本当に、この子にも助けられてばかりだな。
僕は自分の頬をパンとはたき、活を入れる。
「よし、とりあえず早くご飯食べて、作戦を考えよう」
僕とイオはサンドイッチを食べ終え、冷めてしまった紅茶を流し込んだ。
「マスター」
「どうしたの?何か反応あった?」
「それが……何者かが通信を求めています」
「通信?」
「はい。方角、位置共に特定できません。でも、この周波数は、おそらく時空列車……」
時空列車……。今この状況で通信を求めて来るということは、こちらを襲った敵に違いない。
コスモス以外の時空列車と友達になった覚えはないし、しかも位置が特定できないときた。
僕らが隠れるのにしびれを切らして通信してきた?
この間は襲ってきておいて、今度は対話をする気?
何が望みだろう……?力量がはっきりしているから大人しく出てこい、みたいな?
そんな考えが浮かんでは消え、また浮かんではまた消えと、繰り返している。本当に分からないんだ。相手が何を考えているのか。ここで突っぱねれば、2度と話すチャンスはこないかもしれないし、しつこく通信してくるかもしれない。
とにかく、相手がどうして通信してきたのか、はっきりさせる必要があった。
大丈夫、コスモスは強い。防御力もあるし、攻撃力だってある。いざとなったら、全速力で逃げよう。
「コスモス。周囲に敵影は?」
「確認できません」
「じゃあ、警戒を厳に。何かあったらすぐに教えて。あと、いつでも発車できるように、機関の準備もして」
「了解しました」
列車のセンサーか何かが作動したのか、機械音がどこからか聞こえてくる。
「ご主人様、繋ぐんですか?」
心配そうに、イオがこちらを向く。
「話せる相手なら、話してみないとね。何かあったらすぐ逃げるんだ」
僕はイオに微笑み、2人で発令所に向かった。
「通信を承諾、回線を開いて」
「かしこまりました」
前方の様子を映し出していたメインスクリーンは切り替わり、「SOUND ONLY」と表示さている。
顔は見えないか……。
数秒間の沈黙。
『こんにちは』
落ち着き払った声がした。これは、女の子のもの?
「えと、こんにちは」
『貴方、その列車の持ち主?』
「そうだけど」
何だろう?何が訊きたい?
それに、この話している相手は、なんだか、そう年齢が離れているようには感じないな。
頑張って声を低くしようとしているような、威圧しようとするような、そんな声の出し方だ。
ハンザも、僕と同い年ぐらいなのに1人で次元航行船に乗っていたし、異世界ってやつじゃ、子供がこういうのに乗るのは普通、なのかな?
『白髪の女の子は、アシスタント・ヒューマノイド?』
「それも、そう」
『怪我は?』
「何でそんな事を訊くの?」
『知りたいから』
「教えると思う?」
本当に分からない……。何が狙いなの?
『まぁ、いいや。貴方、これから指定する場所まで来て』
「指定する場所?」
「マスター」
メインモニターに、この周辺の地図が表示され、コスモスが停車している点から、東北東に進んだところに、赤いポインターが指し示られていた。
「ここに、来ればいいの?」
「そう。白い髪の女の子と、2人で来なさい」
変な質問ばかりだと思ったら、今度は唐突に命令か。しかもこちらに有無を言わせない物言いだ。
「理由を教えていただきたいです」
『なんでも。時空列車はそこで待機させて。大丈夫。大人しく従ってくれれば、悪いようにしない』
「もしも、従わなかったら?」
『貴方の列車を破壊する』
「破壊……」
無意識に、拳を握る力が強くなった。爪が食い込み、痛みを感じるまで、それは続いた。
発令所に、緊張が走る。
『できれば、争いたくない。いい返答を期待しているわ』
「こっちからも2個、質問したいんですけれど、いいですか?」
『……いいよ』
「ありがとうございます。まず、超空間で攻撃してきたのは貴方ですか?」
『そう』
「どうして?」
『それは、貴方が来たときに話す。2つ目は?』
「僕たちをどうする気ですか?」
『私たちは、ある目的を持って旅をしているの。その情報を貴方たちが持っているのかも、って思って』
「少し、考える時間を貰ってもいいですか」
『構わないわ』
「ありがとうございます」
そこで、一方的に、通信を切られた。
モニターにはもはや「SOUND ONLY」という表示はなかった。
「どうしますか、ご主人様?」
「どうしようかな」
「行くべきではありません。マスター」
指示を仰ぐイオと、相手の要望に否定的なコスモス。
僕も正直、この手はいかない方が良いと思う。明らかに罠だ。
会話の内容も理解不能だた。なんというか、何も考えていないような、無計画さが出ているような気がした。相手も、会話している間に、口調やら声のトーンが安定しなかった。何かを隠そうと、威圧的なキャラを演じているように感じられた。
ただ、それでも、あいつは、コスモスを破壊すると言った。実際にそんな力を持っているかは分からない。
でも……。
「僕が拒否すれば、コスモスが壊されちゃう。そんなの、厭だ」
「安心してください。マスターがいる限り、私は負けません。必ず、お守りします。どんな相手であっても、必ず。ですから、危ないことはしないでください」
「そうは言っても、敵の本当の能力が分からないし、実際に逃げてきちゃったわけだし……」
「……私も、コスモスと同意見です」
「イオ……」
「昨日みたいに襲われたら、今度こそ本当に私の、私とコスモスのご主人様を失ってしまうかもしれません。私は、弱いんです。貴方を護れるほど、強くないっ……!」
この瞬間、イオの、本当の感情というものを読み取れたような気がする。イオは今まで笑顔を浮かべたり、悲しそうな顔をしたり、泣いたりもしていた。しかし何故だろう、そのどの表情よりも、今の言葉が、声が、抑揚が、彼女の本心のように感じられるのだ。
2人とも、僕を心配してくれている。
此処まで一緒に来てくれた。
「マスター」
「ご主人様……」
2人が僕の返答を待っている。彼女たちは僕のために動こうとしてくれている。僕は?僕はどうすればいい?僕は何をすべき?何がしたい?地球を助けたい?そのために旅をしている。なら、この状況を打開したい?
どれでもないな。少なくとも、今この時は。
僕は二人を護りたいんだ。
僕とコスモスとイオと三人で、また旅がしたいんだ。彼女たちが僕にそうするように、僕も彼女たちのことを大切に、護り抜いていきたいんだ。
そう、2人がいればなんだって出来る。
大丈夫、今度は僕も力になる。
「コスモス、イオ。僕、決めたよ」
「マスター」
「行こう。敵の目的も、勢力も分からないけれど。でも、僕には、行かなきゃいけない気がするんだ。だから、コスモス、イオ」
僕はモニターとイオに視線を向ける。
「ご主人様……」
「……かしこまりました。マスターのご意思のままに」
「コスモス?!」
「イオ、お願い」
イオはどこか迷っている様子だったが、やがて諦め跪いた。
「分かりました。私が、全力でお守りします」
「2人には、いつもお世話になるね」
ここで、一呼吸おいた。
「……行こうか」