【メイド喫茶論考】 制服という記号

By 管理魔術師, 2010年3月24日

文/清水銀嶺
画/犬山しんのすけ

 メイド服は制服の一つとして認識されている。制服の最も端的な機能は、所属する集団と他者とを明確に区別することであろう。それによって装着者の帰属意識を高め、連帯感を醸成させるのに一役買っている。有名な新撰組が、青と白のダンダラ模様の隊服を作ったのも、出自がバラバラの隊員を統率するためだったと云われているし、メイドという職業においては雇い主との階級や身分の違いを示していると考えられる。
 日本では、幼稚園を始めとして学校や職場にも多くの制服が存在しているが、それは多分に機能性よりも、日本人の共通項による安心意識に根ざしているものと思われる。ネガティブなイメージでは、内向的あるいは鎖国的であり、ポジティブなイメージでは、先の連帯感や対外的な認知の向上であろう。
 私たちは日常、意識などせずに制服を見ることで、装着者の所属や職種といったものを認識し、その存在を了解している。制服が、事物を抽象化した記号として機能しているからだ。
 最も端的な例は、銀行など金融関係の窓口業務や案内係の制服であろう。華やかであるよりも、清潔さを優先しているデザインが多いのは、金銭の取り扱いについて不正が無いことをアピールしている訳だ。
 先行する、特定の制服が人気の要因となっている飲食店には、胸の部分が強調されたデザインの『アンナミラーズ』や、明治浪漫を感じさせる『馬車道』などがあるが、通い慣れた常連客には好みの店員が居たとしても、制服を着ているのは個人というよりも企業であり店舗であり、そこには架空でも人格は見て取れない。
 それらに対して、店が世界観を持って、店員個人に服装の記号を着せたのがメイド喫茶であり、その点がまったく異なる。
 個人レベルでは、対象となるモデルの本来の内面を知らなくても、その格好を真似することで他者に成り代わり、自身の内面を変容したり外部に変化した自分をアピールすることが愉しみとなる。
 店員自身が、自らの愉しみのために制服を着るというのは、つまりは『コスプレ』をするということだ。
 誰でも今の自分に不満な点や、あるいは不満ではないけれど憧れる存在というものは、多かれ少なかれあることだろう。制服のコスプレだけではなく、別なキャラクターの格好になる場合のコスプレは、その意味合いがより濃く深くなる傾向にある。キャラクターは別な人生とも云える物語を持っているからだ。
 欧米では好きなキャラクターに扮することは、仮面舞踏会にならってマスカレードと呼んでいた。それが今や、日本から輸出された和製英語であるコスプレという用語を用いている。
 コスプレとは、「コスチュームで遊ぶ」という意味を持たせた造語であり、この言葉が生まれるまでは「仮装の人」などと呼んでいたのが、賛同者を得て定着した。そしてコスプレをする人はコスプレイヤーと呼ばれるようになった。
 欧米人がコスプレという用語を用いるようになったのは、日本のアニメや漫画を愛好するようになった人たちの中に、日本への憧れがあったことも影響しているだろう。これには、記号化する文化が日本に備わっていたことも相乗効果をもたらしたと考えられる。
 例えば日本画は、写実的ではなく輪郭線をハッキリさせたり色の濃淡を少なくすることで抽象的に描いているとされている。音楽も、欧米では全体のリズムを大切にするのに対して、日本では断片的なメロディーに重点を置いているという説がある。歌舞伎の見得を切る表現などは、つとに例として出されるくらいで、これはそのまま漫画やアニメにおけるキャラクターのポージングにも影響を与えている。特に、ヒーローを題材にした作品では顕著であろう。そのポーズだけで、作品名やキャラクター名が分かるというファンも居るくらいだ。
 元来、欧米のアニメファンのイベントなどでは、仮装した人たちがちょっとした芝居をしたり芸をするというのが主流だが、日本ではむしろ止め絵のようなポーズが主体であった。これが欧米の人たちには新鮮に映ったのではないか。そして、止め絵であればその練習は比較的容易であり、その容易さもまた作品の人気と共に受け入れられた要因であろう。

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