<<通巻26号>> モンハンに引き継がれるカプコン魂3

執筆 : 星雲御剣/注釈 : 清水銀嶺

26:モンハンに引き継がれるカプコン魂3

 さて、今更言うまでもなく『モンハン』の醍醐味は複数での協力プレーにある。「テレビゲーム」という物は、とかく孤独、ストイック、引きこもりというイメージがついて回るが、実際には、マンガやテレビを凌駕する「コミュニケーション・ツール」としての機能を有しているのだ(★補1)。
ファミコン全盛期に小学生以上だった世代には今更言うまでもないことだが、テレビ番組や週刊連載漫画よりも、自らの手で解き進めていく要素が強い分、友人達と語らい、交換する情報は密度が濃い物となる。
一人で遊ぶタイプのゲームでさえこうであるから、多人数が同時に遊ぶ物となるとその効果は計り知れない……はずだった。だが実際には、多人数プレイ前提のゲームが大ヒットするまでには、かなりの時間を要したのである。(★補2)
多人数プレーは、まず「対戦」という形で実を結んだ。それがカプコンの『ストリートファイターⅡ』である。
 さてこのタイトル、「Ⅱ」というだけあって前作が存在するのだが、前作『ストリートファイター』では、プレイヤーが選べるキャラが色違いで性能は全く一緒のリュウとケンのみだったこともあり、対戦ゲームとしてはイマイチ、ボタンを叩く強さで技の強弱が変わる、独自のシステムを持った筐体の特殊性だけが際だったゲームとして印象に残るのみであった。
 『ストリートファイター』が中ヒットに止まったのを受け、カプコンは「操作の複雑な対戦ゲームは時期尚早」と判断し、『ストリートファイターⅡ(仮)』として、横スクロールタイプの協力プレイ型アクションゲームの開発を始めた。
 これが後の『ファイナルファイト』である。性能の異なる3タイプのキャラや、ストイックな1人プレイで倒すには歯ごたえがありすぎる敵など、協力型ゲームの礎はここで作られたのだ。(以下次回)


補1
 『ドラクエⅠ』のヒット要因の一つに、キャラクターレベルを常時画面表記した事が挙げられる。
 搭載情報容量や画面レイアウトに制限が多かった当時、常時表記情報の絞り込みは至急命題だったのだが、「ユーザーが情報交換するには『今レベルいくつなのか?』は最も大事な要素である」との判断から、最重要表記情報とされた様だ。
 このあたりの経緯は、実話を元にしたコミック『ドラゴンクエストへの道』に詳しい。
補2
 テレビゲーム極初期の営業用筐体であった米国の『テーブルテニス』は、商業的には失敗であったとされる。これは、人間と対戦できるレベルのプログラムが未開発であったため、2人対戦専用で1人プレーが出来なかったため、筐体が主に置かれていた喫茶店などでは、未だテレビゲーム未経験の顧客が気軽に遊ぶことが出来なかったから、とされている。
 機械そのものと、何よりも遊ぶ人間の方にある種の「こなれ」が必要だった、ということであろう。
 ……なお、余談ではあるが、このテニスゲームの筐体を「新時代の遊具」と見込んで大量発注してしまい、あふれた在庫を何とかしなければ……という事態から発生したのが、後にゲーム史を塗り替えることになるタイトーの『スペースインベーダー』誕生のきっかけとなった、と言うのは知る人ぞ知る逸話である。

次回は「27:モンハンに引き継がれるカプコン魂4」
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&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&& 執筆者紹介 &&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&&
◆星雲御剣(せいうん みつるぎ)
 80年代後期ファミコンブームの頃から各ゲーム誌で攻略記事を担当。
 ゲームのみならず、マンガやアニメにも造詣が深く、某大手出版社の入社試験では、面接官に聞かれたウルトラマン、仮面ライダー、ガンダムの顔と名前を全部言い当てたのが合格の最大の決め手になった、と言われている(笑)。
 独特のオタク感を実生活に反映させる生き様を模索、実践する求道者。
◆清水銀嶺(しみず ぎんれい)
 唐沢俊一氏主宰の『文筆業サバイバル塾』第一期塾生。
 既刊『メイド喫茶で会いましょう』(共著)
 『ためログ』にて記事を執筆。

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