コスモス 第十八話「約束」

「慶介さん、イオさん、少しお出かけしませんか?」

 あの惨劇があった日から二日後、唐突にイシカにそう誘われ、僕たちは雲がいくつか浮かぶ青空の中、ハンザの家から少し離れた森のあるところにやって来ていた。

 ここら辺はコスモスや装甲車で来たことは無く、まったく新鮮だった。

 どこを見回しても青い葉が覆い茂った木々や、苔の生えた岩があり、鳥の声や草や小枝を踏む音以外は静かだ。

 なんだかこの森に吸い込まれるような、そんな感覚を覚えた。

 イシカとイオは僕らの前を歩いて、楽しそうに何か話していて、時々小さな笑い声が聞こえた。

 一瞬だけ見える横顔は、無邪気な笑顔そのものだった。

 何でもいいけど、今日もイオは制服を着ているんだ……車掌さんが身に着けるような帽子まで被ってるし。

 僕はその後ろをハンザと並んで、時々俯きながら歩いている。

 いつもだったら、来たことの無いところを歩くのに心が躍るのに、今の僕にはそんな素振りはない。

「ねぇハンザ、どこへ向かってるの?」

 なんの前ぶりもなく、イオとイシカに聞こえないくらいの小声で訊いた。

 僕はハンザの顔を見なかった。

「あぁ、行けば分かると思う」そんな得意げとも期待ともつかない声の調子でハンザは返した。

 行けば分かる……。

 この森を抜けて、一体何があるんだろう?

 街?何かの建物?僕の世界でいう遊園地でもあるのだろうか。

「なんで急に?」

「多分、イシカなりに元気づけようとしてるんじゃないかな。まさかここらであんな事が起こるなんて、思ってもみなかったし」

「そうだね……」

 そこでしばらく沈黙が流れた。

 あぁ、これから僕はどうするべきなんだろう。

 あんな事があって、正直かなり恐怖を感じた。

 それと同時に、大勢の関係ない人達が傷つくのを見て、どうしようもない怒りが湧いた。

「……さん…慶介さん!」

 前の方で間隔を開けて歩いていたはずのイシカが、気づけば僕の目の前まで来ていた。

「着きましたよ!」

 いつの間にか、目的の場所に着いていたらしい。

「ほら!」「見てください、ご主人様!」とイシカとイオが両腕を広げて、目の前にある光景を見るように促す。

 目の前に広がる光景に、僕は大きく目を見開いた。

 そこにはよく澄んだ大きな湖が堂々と大空を映す鏡となり、それを囲むように不思議な形をした木々が仲良く風にあおられている。

 大きな動物も小さな動物たちも関係なく、みんなが広い草原を駆け抜け、木々を渡り、まるで湖に誘われているかのように、争いもなくこの場所に集まっている。

 まさに生命(いのち)を感じる場所で、気付けば涙が流れ出ていた。

 不思議だ……。来たことがない、ましてや見たことすらもない光景のはずなのに、何処か懐かしい感じがする。

 思わず僕は湖へ駆け寄り、両手で冷たい水をすくい、そのまま顔に当てた。

 当然、顔も温度は奪われ、それと同時に頭の中にあった黒い何かが、両肩にのしかかっていた重荷がすっと軽くなっていった気がした。

 後ろを振り返ると、イオはしゃがみ込んで花を見ていて、ハンザは離れたところで立ち尽くしている。

 僕はただひたすら、この場所の不思議な感覚に夢中になって景色を眺めていると、イシカが僕の横に来た。

「ここは私たちが小さい頃からよく遊んでいた、思い出の場所なんです。どんなに辛くても、悲しくても、泣きそうなときでも、ここに居ると、なんだか気持ちが楽になって」

 そう言うとイシカは、首から下げているペンダントを掴んで微笑んだ。

 少し古びた銀の鎖に、群青色で見る角度によって違う模様が浮かぶ石が繋がれている不思議なペンダントだ。

 ここに来るまで、それを彼女が身につけていることに僕は気が付かなかった。

「綺麗なペンダントだね」

「これ、お兄ちゃんが誕生日にってくれたんです。わざわざ遠くまで買いに行って、どこで何をしたんだか、ボロボロになって……」

 そう語るイシカの声は、笑っているようだったけれ、それと同時に震えてもいた。

「私、怖かったんです……。あの日の夜、お兄ちゃん達がボロボロになって帰ってきて、もしかしたらもう二度と会えなかったかもしれないって……」

「イシカ……」

「本当に、良かったです……!皆が返って来てくれて、嬉しかった……」

 横を向くと、今にもイシカの目から涙がこぼれそうになっていた。

 そっか……この子も、怖かったんだ。

 自分のよく知っている人が自分の知らないところで死んでしまうことは、目の前で人が死ぬのと同じくらい、怖いことなんだ。

 きっとハンザの両親も、怖かったんだ。

 僕の父さんや母さんも……。

「本当に……なんでこんな事になっちゃたんだろう……」

 弱々しい声で、イシカが言った。

 なんだか、その言葉をとても重く感じた。

 今まで、自分だけが怖い目に遇っていると思っていたんだ。

 僕はイシカの手を取った。

「慶介さん……?」

 目と頬を少し赤くしたまま、イシカは顔を見上げた。

「約束!」

「え……?」

「約束、するよ」

「約束……?」

「うん。僕が必ず、何とかしてみせる……!何とかするから、だから泣かないで、イシカ」

 イシカはしばらく声を出さず、目を見開いて僕を見ていたけど、そのうち小さく笑みがこぼれた。

 はっと我に返り、イシカの手を握っている自分の手を見つめる。

 憤りとか、悲しみとか、そういう感情で一杯だったはずなのに、急に恥ずかしさがこみあげてくる。

「……ありがとうございます。でも、これは私たちの世界の問題です。慶介さんは慶介さんの世界を助けなきゃですよ」とイシカはそう言うと僕の手からそっと手を離し、立ち上がった。

 僕も調子を合わせて立ち上がる。

 遠慮、されちゃったみたいだ。

 でも、きっと僕もこの子の立場だったら、同じことを言っていたと思う。

 だから、勝手なことだけど、僕は僕だけでこの約束を守る。

「ごめんなさい。慶介さん。本当はイオちゃんと慶介さんに元気になってほしくて、ここに連れてきたんですけど、私のせいで重い雰囲気になっちゃって」

「ううん、こっちこそごめんね。気を使わせちゃった。ありがとう、こんな綺麗なところを教えてくれて。元気にさせようとしてくれて」

 返事をする代わりに、イシカは笑顔で返した。

 僕と彼女の間を、優しくて心地いい風がそっと包み込むように吹き抜けた気がした。

「さて、それじゃあもうちょっと奥に…」

 いまだに心のどこかに恥ずかしさが残り、すぐにでもこの辺を散策しようと僕が一歩踏み出した、その時だった。

 瞬間だけ、心臓が一瞬大きく震えるような、重い音が聞こえた――銃声だ。

 それも、かなり近い

「何!?」

「ご主人様!伏せてください!」

「大丈夫!?二人とも!?」

 ハンザとイオが、青ざめた表情で僕らの元へ駆け寄ってきた。

「僕もイシカも大丈夫……だと思うけど」

「見て!」

 イシカの指さした方に、一頭の鹿が血を流し倒れ、周りにいた動物たちは一目散に逃げていた。

 鳥は慌てているからか、一生懸命に羽を動かし、空中を下ったり上がったりしている。

 地上の動物たちは、その長い脚で大きな煙を上げている。

 後ろから誰かの足音が聞こえて来た。

「よし!一頭目ゲットだな!」と、意気揚々とした様子で木の陰から銃身の長い銃を持った男が出てきた。

 その後ろからさらに6、7人出てきてこちらへやってくる、というより仕留めた獲物に向かって来ている。

 狩猟をしている集団なのか、頑丈そうな緑色の服を着ていて、全員同じように銃身の長い銃を持っている。

「お前ばかりずりぃよ」

「俺の獲物だったのによ」

「今回はお前に譲ってやるよ」

「相変わらず、銃だけは上手いな」

 男たちは口々に、先頭を歩く太った男に冗談交じりに話しかけている。

 鹿を撃ったのはあの男で間違いない。

「密猟だ。この世界にしかいない、貴重種の動物を他の世界に売る気なんだ」

 ハンザが耳元で言った。

 そんな……そんなことのために。そんなのって……

「酷い!!」 

 イシカが横から飛び出して、男たちに叫んだ。

「何でそんなことするの!?動物だて私たちと同じ生き物なんだよ!?何でそんな酷いことが出来るの!?」

「ああ?何この子」

「お嬢ちゃん、ここは危ないから帰りな」

 男たちはケラケラ笑って、相手をしようとしなかった。

「皆頑張って生きているのに、それを銃で殺すなんて!しかも、よりよってこの場所で!この場所で!!」

 再び、イシカの声が震え始める。

 表情は見なくても分かる。

 そこに、一人の男がイシカに近づいた。

「おい、お前は中々良さそうなものを持っているじゃねぇか。それもついでに売ってやるか」

 そう言って、男は彼女の腕を掴んだ。

「ひっ……?!」

 小さな悲鳴が聞こえた。

「やめろ!」

 小柄な男がイシカが首から下げているペンダントを奪い取ろうとし、僕は考えるより先に男を渾身の一撃で突き飛ばし、イシカを庇うように前に出た。

「何しやがるんだこの野郎!!」

 男は叫ぶと銃を腰から取り出し、僕に向けた。

「慶介!」後ろからハンザの声が聞こえた。

「なにしてんだ?」

「あ~怒らせちゃった」

 叫び声に反応した他の奴らが集まり、奥の方で笑っているのが見えた。

 男は銃の引き金に、ゆっくりと指をかけた。

「ぐっ……!」

 一気に身体が強張り、冷や汗が滝の様に流れるのが分かる。

 足は震えていて、今すぐにでも逃げ出してしまいたい。

 いや、絶対駄目だ!と心の中で首を振る。

 イシカを、ハンザを、イオを置いて自分だけ逃げるなんてことは出来ない。

 僕は、ゆっくりと両腕を広げた。

 何とか皆と一緒に逃げられないかと、今までにないほど頭を回転させる。 

 男たちは依然として、ニヤニヤとして僕たちをあざ笑うかのように見ている。

 刻一刻と経つうちに、どんどん焦燥感に駆られていく。

 もう駄目だ、と思った次の瞬間、さっきとはまた違う体の中まで震えるような重たく大きな銃声がした。

 すると僕の前に出たイオがドサッと草の中に仰向けで倒れ、被っていた帽子が遅れて地面に落ちた。

「イ……オ……?」

 すぐに、イオが庇ってくれたのだと理解した。

「チッ」と男が舌打ちをしたのが聞こえた。

「そんな…イオ!!」

 僕は膝から崩れ落ちた。

「下手に首突っ込まなきゃよかったのになぁ?」

 そう言って、男は再び僕に銃を向ける。

 じわじわと、さっきまでの恐怖が怒りに変わっていくのを感じた。

「イオに、なんてことをするんだ!」

 僕は飛びかかろうとした、はずだった。

 でも、その寸前に黒い影が僕の動きを止めた。

 代わりに、銃を向けていた男が、宙に浮いていた。

「え?イオ?」

 そうイオだった。

 銃で撃たれて地面に倒れていたイオが、何故か一回まばたきしたころには片足を蹴り上げていたのだ。

「バカな……!?確かに頭をぶち抜いたはずだ!」

 イオを撃った男が、今起きている状況を理解できずに焦り出した。

「私の身体は……」と、ゆっくりと声を発するイオ。

「頑丈に造られているので、そんなおもちゃで簡単に死んだりはしません。それよりも……」とイオは自分の額を撫でた。

 よくよく見ると、イオの足元に弾丸が落ちているのに気づいた。

「それは私のご主人様に向かって撃ったということですか?私のご主人様を殺そうとしたんですか?」

 声は明らかに低くなっており、普段から物腰柔らかく明るいイオの印象とは大きくかけ離れていると感じた。

「私は、私のご主人様を殺そうとしたあなた方を排除します。」

「チッ!化け物が……!!」

 パァンという耳障りな音が耳を突き抜けた。

 男がもう一度、発砲したのだ。

 でも、今度は誰も倒れる気配はない。

「な……!!」

「ご主人様、少し待っていてください」

 こっちを振り向いたのイオの瞳は、あの花火の日と同じように紅く光っていた。

「え……待つって、何を?」

 僕が声を絞り出して訊くより先に、イオは男たちのもとへ飛び込んだ。

 きっと目にも止まらないっていうのは、この事なんだろう。

 イオを迎え撃つために男たちは全員が銃を抜き、彼女に向けてがむしゃらに発砲する。

 バァン!バァン!バァン!と、銃声が何重にも重なって鳴り響き、その一発一発に僕らは恐怖で身が震える。

 でも、イオの方は瞬時に銃弾を避けるような動きをして、男の一人に近づくと、風を切る様に手刀を首元に当て、自分より大きな体格の人間を一瞬で倒してしまった。或いは、イオはその銃弾を素手で受け止めると投げ返し、その弾で足を貫かれた男は悶え苦しんだ。

 他の男たちは構わず撃つが、ある者は流れ弾で倒れ、またある者は弾切れになり、その隙を見逃さなかったイオに強力な一撃を与えられ、数メートル先まで吹っ飛んだ。

 イオは相手の両腕を掴んで、そいつの喉につま先で蹴りを入れることもしていた。

 普段礼儀正しいイオからは想像がつかないほど戦い方が冷血で、数人の男たちはろくな抵抗が出来ないまま次々と倒されていく。

「慶介!イシカ!」

「お兄ちゃん!」

「怪我はないか?」

「うん、慶介さんが助けてくれたから」

「そうか。慶介。……イオは」

 ハンザはイオの方に視線を送ると「…凄い」とただ一言、言葉を漏らした。

 僕らは何も出来ないまま、呆然と立ち尽くしていた。

 ついにイオは、最後の一人の体格のいい男を相手していた。

 その男は銃を投げ捨て、その大きな拳でイオに殴りかかり、肉弾戦に持ちこもうとした。

 しかしそのパンチを紙一重でかわし、指をそろえて男の目に突き刺して反撃した。

 指は見事に目に入り、男が痛みで目を押さえてる間にイオはその隙に右手を伸ばし、その華奢な身体からは想像できない程の腕力で男の首を絞め始めた。

 男は最初は自分の大きな手でイオの細い腕を掴んで離そうとしたが、首を絞めている手が動くことはなく、徐々に抵抗が小さくなっていき、ついには自力で立つことも出来なくなっていった。

 それでもイオは苦しそうな顔をしている男に構わず、容赦なく首を絞め続ける。

 男を見つめるあの赤い瞳は機械的で、冷たくて、とても人に対する情なんて感じられない。

 もう、いいよ……。

「もう、大丈夫だから。もうやめて……」

 声を絞り出すように呟いた。

「もういい!イオ!もうやめて!!!」

 今度は声の限り叫んだ。

 その声が届いたのか、イオの瞳が緑に戻り、首を絞めていた手を離した。

 男は気絶し、そのまま地面に倒れてしまった。

「ご主人様……?」

「こっちに来て」

「かしこまりました」

 すぐさまイオは僕のもとへ駆けて戻って来た。

「…さっき銃弾が当たったところ、大丈夫なの?」

「え…?あ、はい。このくらいなら大丈夫ですよ」そういうと、イオは銃弾が当たった額を見えるように前髪を持ち上げた。

 本当に銃弾が当たったとは思えないほど、少し赤く傷になっている程度で大きな外傷はなかった。

「…守ってくれてありがとう。でも、あまり無理はしないで。もし死んでたらどうするんだよ」

「私は無理はしていないですよ。それに私はあれぐらいじゃ死にません」

 自慢げに言うイオに、僕は何も答えられなかった。

 周りを見渡すと、イオに完膚なきまでに叩きのめされた男たちが今も倒れてる。

「……殺したの?」

「いえ、念のため生かしてあります。殺しますか」とイオは再び瞳を紅くすると、掌を男たちに向ける。

「いやいやいや十分だから。多分もう仕返しと化されないと思うから」

 必死で、僕はイオを止めた。

「分かりました」

 あ、また緑に戻った。

 どうやら、誰かを殺害しようとするときには瞳が紅く輝くという特殊な体の構造をしているらしい。

 あと、この子は怒らせたらいけないとかのレベルじゃない、とこの時初めて思った。

 コスモスの言うとおり、イオは身体能力が高いんだ。

 一人で銃を持った集団を相手できるほどに。

 そして、イオには明らかに人として大事な何かが、欠けている。

 考え方や判断がどこか機械的な気がする。

「慶介、今日はもうここで帰ろう」

「あぁ、うん」

 ハンザに連れられここを去ろうとすると、イシカは僕達と反対の方、湖に向かって胸に両手を当ててうつむいている。

「イシカ?何をしているの?」

「あれは、僕たちの世界にある、お祈りの仕方だよ。死者のね」とハンザが落ち着いたトーンでいい、イシカと同じ動きをし出した。

 彼女が向く先にあったのは、銃で撃たれた鹿だ。

 僕とイオも二人の真似をした。

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