作家脳と介護における現実描写の隔たり。

有名なプロ作家の脳って、一体どうなってるんだろう?
計算つくされた展開や推理トリック。
主人公の心情を思んばかるような言動の数々、それを取り巻く人々の群像劇の描写に至っては、本当にすごいことだと思う。
つい、3次元を体現的に生きている私たちは、その心情も行動も自覚があったことでさえ次の瞬間には忘れゆき、日々の生活でかき消されそうになる。
その一コマ一コマ。
一般人にとり、それを忠実に文章に書き起こそうとすることはかなりの難易度だ。
また、脚本家にいたってはどうして、ここのこういう場面でこうも納得できる自然体の言動が沸いて出てくるのだろうと感心。
だが、それを現実に換算し置き換えてみると実際は、こんな歯の浮くようなセリフ普通は使用しないだろう、という違和感さえいだく。
これが2次元と3次元のギャップなんだろうか。
観ている分には、作品自体にそれほど違和感は生まれないが自分が発する言葉としては、ものすごく遠い存在のように感じる。
少し、現実世界で気になったことがあったので書いてみた。
私も文章表現をするのはニガテのくちに入る方…。
物語とは、生み出すもの。
現実描写とはどこか違う。
うまく言えないが、私はいつも介護分野でのことで疑問浮かぶ事が多々あり。
職場では、それでも文章を起こさなければならない。
入居者の現状のあり方についての描写。
ウソはいけないと思いつつも、それを端的にあからさまに書くと施設長からは怒られる。
〔主に認知的な面々や側面について〕
ある程度、そこにはオブラート的要素も必要なのは分かってはいるが。
ありのまま書かなければならないのに、オブラートもというような文体に苦慮。
常に入居者の身体状況の把握と、どのように過ごしているかのネタ探し20人分の介護記録。
毎日、毎日…。
簡単なようで簡単ではない。
他の職員の中でも、小学生並みの文章なら書けるけど的に言っている人さえいる。
だが、そういうことを言ってる人に限って実はとても上手に描写が書けている。
文章とは不思議なもので、観察眼に長けている人のがそこではあたりまえのように有利に働き、いろんな角度からものが見える人にも繋がるからだと納得。
その中身は、わずかに一行…。
でも凝縮されていて、よく的を得ている。
余分な事柄を省略できる人ほど、実は文章能力に長けているんだと分かった。
やはり、その現実さと作家脳には大きな隔たりが存在するんだな~。

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